敬老の日に自分が何をすれば良いのか考えてみる

今日は敬老の日なのですね。

私は敬老の日を祝う人がいなくなって随分と経つので
自分と関係のない日になっていました。

自分が老人と言われる年齢になったとしたら
それが祝う事なのか疑問だし、祝ってくれる人もいないでしょう。
ただ、毎日生きてきたって事で感謝して、
自分で自分を褒める日にしようと思います。

そう言えば、私の祖母は敬老の日に、住んでいた町で開かれていた
敬老の日を祝う会のような集まりに毎年出かけて行っていました。
帰りにお土産をもらって、年々、必要ない品物になってきたって
言っていましたっけ。

ある年、何だかとっても嫌な出来事があったらしく、
それっきり、そんな集まりには出かけていかなくなりました。

集まりが嫌だったのか、そこで集まった友人と何かあったのか、
年齢を重ねても、嫌なことが起こるんだなって感じた記憶があります。

若い頃は、ひとつの集まりや、それまでの友人と疎遠になったとしても、
次に参加できる集まりや、友人を見つければ良いだけですが、
年齢を重ねると、新しいところに行くには、若い頃の何倍もの気力がいるので、
出かけていくのや新しい人間関係を築くのが億劫になります。

そして、気が付いたら孤立して孤独になってしまうのでは?って、
自分が年齢を重ねるごとに感じています。

少々、頭が固くなり、新しいことを覚えるのや受け入れるのは
若い子のようにはいかず、大変になります。
サクサクと行動もできません。

それが、このスピード時代に生きている方たちからすれば、
イライラして邪魔にしたくなるのだと思います。

でも、そんな自分の変化に一番驚いてイラついているのは
本人たちではないでしょうか。

多くの知恵を持ち、たくさんの経験をしてきた方たちを尊敬し、
愛をもって接していきたいものです。

誰だって歳をとります。
その時に、役立たずかな?邪魔かな?って思いながら過ごすのって悲しいです。

どんな年代の人でも楽しく穏やかに暮らせる社会になるように、
みんなで作り上げていきたいですね。